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セガレインタビュー第2弾!実家に戻って奮闘中/吉田 佳右さん2018/04/03/TUE

今回は、八王子で4店舗を運営する複合施設のセガレで、最近実家に戻ったばかりの吉田 佳右さん(27歳)にお話を伺いました!

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ウォーターヒルガーデンという、4店舗を運営する複合施設のセガレとして

昔は自社ブランドの錦鯉もあり、生産・販売をしていましたが、今は仕入れて販売をしています。吉田観賞魚(http://yoshida-fish-farms.com/)です。

8割以上のお客様が海外です。昨日もシンガポール人の方が来たりとか。空輸しています。48時間持つんです。事故があったら錦鯉は死ぬ可能性もありますが、世界の億万長者は錦鯉にたどり着く。富の象徴になっていますね。

海外でも養殖が始まっていて、ドイツ鯉という品種がありますが、鱗がない鯉なんです。本物を求める人は日本産を購入しますね。

インターネットの普及していない時代に、海外の方が新潟へ錦鯉を求めて訪れたことをきっかけに、東京の吉田さんのところに行ってくれ、と紹介され、そこから販売が始まりました。

1921年に曾祖父が創業し、今は叔父が3代目。2021年に100周年を迎えます。今やっているマルシェやレストランは叔父から始まりました。4代目は誰が継ぐのかまだ分かりませんね。
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部門間をつなげる役割としてスタート

つい先日、社長から任命されたのですが、「ギャザリング担当」になりました。錦鯉、園芸、野菜のマルシェ、レストランと4つの部門があるのですが、部門間をつなげる役割です。

2017年の10月に戻り、各部門はそれぞれに頑張ってくれています。ですが、部門ごとに敵対視していたりと勿体ないことが目に留まりました。そのことを伝えているうちに、それを仕事にしろ、と言われました。

任命されるまでは、マルシェとレストランを担当していました。ここは、素人が7年前に立ち上げただけのもので、ルールがないのが長所でもあり、短所でもありました。サラリーマン時代に培ったシステムチックな部分を導入し、かつ、起爆剤として何かやってみてくれないかと言われて着任しました。

僕が行く部署は、持ち直しが必要なところが多く、やばいところなんだ、と社内では認識されています。少し嫌われ役のようなところがありますが、人が辞めていかないようにうまくバランスを取ります。社内円滑化のために、バーベキューをしたり、体育館を借りてバスケをしたりしています。

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うちの会社、は、実家の会社のことだった

実家のことを意識し始めたのは、小学校高学年くらいのときから。地元で商売をしている以上、周りからそうみられていました。継がなきゃいけないかな、と子どもながらに思っていましたが、親から、継がなくてもいいと言われ、少しショックを受けましたね(笑)

実家が商売をしているというせいで、小さいころに嫌な思いもしてきたので、最初は絶対戻りたくなかった。戻りたくないというか、自分が知られていない世界で勝負をしたかったんです。

実家に戻ろうと強く感じたのは、サラリーマン時代。サラリーマンとして勤めながら、80%くらいしかパフォーマンスができていないことに気付きました。20%は違うことを考えていたんです。「うちの会社」といえば、自分にとっては実家の会社のことで、当時勤めていた会社ではありませんでした。

実家には、自分でお願いして戻らせてもらいました。実は、2回断られています。最初は、入社2年目になったとき、「つらいから戻らせてほしい」と言い、断れました。そこから1年後にお願いしたら、「後輩の育て方を学んでから戻って来い」と。そこから3年連続で後輩を育てて実績を積み、ようやく戻ることになりました。

「腹を決めて戻ってこい」

両親とは戻ることについてしっかり話したことはありません。どちらかというと、彼らは我関せず。伯父の会社なので両親に権限がなかったのもありますね。父親からは戻ってきてほしいという気持ちをひしひしと感じてましたけど、母親は戻ってきてほしくない感じでした。自営業がいかに大変できついかを肌で感じた人ですから、自分の子どもに感じさせたくなかったのではないかと思います。

戻ることを決心して母親と話したときに、外で働いていた方が給料も福利厚生があっていいでしょう、と言われましたが、そのときは母にきついことを言ってしまいました。悪いことを言ってしまいましたが、その衝突があったからこそ、最後には「腹を決めて戻ってこい」と言ってくれましたね。

大人たちのコミュニティの場として

私たちの店はたまたまレストランがあって、野菜があって、ガーデニングの商品があるだけなので、空間を味わってほしいと思っています。大人たちのコミュニティの場として使ってもらいたいですね。

アメリカのポートランドを目指して作っているんですが、ちゃんとしたルールや決まり事もないから、一度ギャザリング担当として整理をして、世の中に大きな声で発信したいと思います。

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箱から出て外の商売をしないといけない

今後はコンサルタント事業もやりたいと思っています。今、埼玉のコクーンというところに、一部店舗を作って、販売レクチャーをしたり商品も仕入れてもらったり、ということをしています。自分の直営ではないけれど、テイストが同じ。管理する店舗を増やすのではなく、ローリスクで展開できる状態を作りたいです。

店に訪れる方からは「空間すべてがいい!」と声を頂きます。実は様々な大企業の方も偵察に来てくださってるんです(笑)まずは自分のところを整えたら、足を運んでコミュニケーションを取り、少しずつ広げていきたいです。

また、八王子の園芸部門、グリーンギャラリーガーデンズはこだわり抜いた商品、サービス、知識があり、業界の方々に評価して頂いています。今後は一般のお客様にももっと良さを知ってもらえるように、認知を広めていきたいです。

箱の商売には限界があるから、箱から出て外の商売をしないといけない、と伝えたことで社員の潜在意識が開花したんです。今は、バラのメンテナンスに力を入れています。園芸業界、植木業界にバラのメンテナンスに特化している企業が少なく、ここを更に強化して行く事が決定しており、実行しています!どうやったら来年きれいに咲くか、どんな肥料がいいか、30年かけて研究しているので、すごく強いですよ。

全国的にも有名な国際バラのガーデンショーがあるのですが、いつも主催者側と一緒に仕事しているくらい知識、技術があるんです。

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脳裏に浮かぶなら「継げ」!

ずっともやもやして今の仕事をしているなら、辞めるのも勇気、戻るのも勇気。この2回の壁を一気に経験したものしか味わえない達成感や開放感があります。覚悟が決まります。もう逃げられません。

人それぞれかもしれませんが、僕は、自分がこうしたいこと、手伝ってほしいという気持ちに素直になれたので、人に頭を下げることができました。

実家に戻るなら早い方がいいと思います。固定概念がない、頭が柔らかいうちに戻った方がいい。

多くは、長く経営されているところに戻るので、大切にするべきものはする、変えるべきものは変える姿勢が大事ですね。風評でも、目に見えるものでも評価されるようになって戻ること。賞をもらって、目に見える結果を残したことで、会社の周りの人からお前は大丈夫だよ、と言われたことが自信にもなりましたね。

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おかげさまで、八王子お店大賞を受賞し、八王子No.1の店になりました!

ぜひ皆さん、一度ウォーターヒルガーデンに来てください!

〒192-0362 八王子市松木15-6

http://www.gg-gardens.com/

 

セガレインタビュー第1弾!フットサル×農家/中井健介さん2018/03/09/FRI

現在、セガレセガールとして活動をし始めている方の、悩んでいることや困っていることをぶっちゃけてもらいたい!ということでリレーインタビューを行っていくことになりました!!

今回は、米とさつまいもの農家のセガレで、現在はフットサル選手として活躍する中井健介さん(28)に伺いました。

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フットサル選手をしながら実家のものをより広めていく活動を

出身は兵庫県神戸市。  田んぼや畑があるイメージがつかないかもしれませんが、東京だと八王子あたり。都会から外れていて、ほぼ三木市と明石市の境目、超ド田舎です。
兄が1人いて、農業をやっています。もともと祖父がやっていたことを兄が引き継いでいます。祖父が2016年頃から動けなくなってきて。その後、全部を任されるようになりました。兄が作って弟が売るという形ですね。僕は全然まだ売れてないので、これから伸ばしていきたいです。

将来は兄が継ぐので、僕はより広めていけるような活動をしていくつもりです。

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今は、プロのフットサル選手で、ポジションは「アラ」。いわゆるサイドアタッカーです。よく動いて攻撃にも参加するミッドフィルダーのようなポジションです。

フットサル選手として活躍できるのは、人によりますが、今は40歳がボーダーですね。やる気がある人は30歳を超えてもやっていけます。僕は50歳までやりたいんですけど(笑)、他の人が出来なくなるので。

35歳くらいで引退したあとに仕事を農業で作るのか、別のことか、フットサル関係のことをするかはまだ分かりません。

離れていても営業として実家に関わる

今の農業との関わり方を表すと、営業みたいな形ですね。作り手は作るだけで、販売は別になっていることが多いですが、作ってから売るまでを手掛けています。ある意味で、地元を離れて東京にいながらも、農家を継ぎましたと言える時代かもしれません。

実家のことを意識し始めたのは、物心がついたときから。

両親が中古車販売、祖父が農家でした。幼いながらに、何か自分も仕事を手伝いたいと思っていました。車の販売や、洗車を手伝いたいと思ったり、祖父の作った野菜を販売したり、作るところから手伝いたいと、小さいころ、サッカーを始める前から意識していました。

仕事を作って生きて行くために

きっかけはフットサルでした。僕の現状の契約だとフットサルだけでは十分なお給料がもらえません。そのなかで自分で仕事を作っていこうと思いました。

フットサル選手はフットサルスクールのコーチでの収入がメインの人が多いです。僕はフットサルだけということになりたくないと思い、アルバイトをしていました。アルバイトなら、社員の方の理解があれば代役を立てるなりして休むことができ、行動範囲を広めていました。最初はその融通がききやすいところを選んでいましたが、途中、自分で仕事を作って生きていかなくては、と思い、持っていた農業の部分で、22,3歳のころから動き始めました。

僕がフットサルを始めたころに父が亡くなり、2016年に母が亡くなったことで、祖父の行動範囲が狭くなり、あるとき、急に動けなくなってしまいました。祖父からすべてを引き継いだのが、10年前から少しずつ農業をはじめていた兄で、今はメインでさつまいもを育て、隣で伯父が米や野菜を色々作っています。ポイントで手伝ってもらっています。

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実家の事業について、今でこそ兄とは話していますが、22歳の時は全く話していませんでした。家族全員、健介はフットサルばっかりだと。22歳の時に、話すよりも先に動き出しましたね。そこから知ってもらいました。

伯父はやってみたらいい、と何かをすることに関しては何も言いません。お米を使いたいのなら使っていいと言ってくれました。

祖父には、フットサルなんてやめて早くサラリーマンになれと言われていますが、伯父は特に変わりなく、やるならやってみろ、と言ってくれます。

今はずっと兄とやり取りをするなかで、兄自身の服のブランドを作って農業と両立させて形にしていきたいと話しています。農業の部分でしっかりと収入を得て、夢を実現させていきたいと、最近よく話してますね。僕は兄よりも自由に動かせてもらっているので、早く販路を見つけたいな と。お互いにやりたいことがあり、その収入源やベース作りとして農業が生かせたらと思っています。

行動が認知されると少しずつ取り巻く環境が変わる

実家のためになっているかは分かりませんが、最初に始めたことはオンラインショップでした。お米と野菜もの詰め合わせを販売し始めたのですが、それがなかなか大変で。手間がかかる割に売れないので、今は一旦止めています。

その次に、僕の行動が少しずつ周りの人に見られるようになりました。商品は売れてないけど、行動が知られてきたことで、様々な話をしてくれる人が周りに増えてきました。あるとき、チームの会場でお米をプレゼントしようという企画が、チームのスポンサーが提案してくれました。それをきっかけに、会場で何ができるかと考え、チームに提案したのが焼き芋販売でした。焼き芋の機械は20万円程度。フットサル選手のお財布事情には厳しいとは思いましたが、やるしかない!と思い、頑張ってガスボンベ式の焼き芋機を購入しました。

試合会場ではたくさん売れましたね。5時間で100本ぐらい。焼き芋機のスペックとしてもそのくらいの本数が丁度良かったです。焼き上がりに時間がかかるのですが、並んでいるから買いたくなるという効果もあったと思います。

今年もやりましたが、販売のお手伝いしてくれる方が見つからず、芋は5試合分程の用意があったのですが、3試合分しかできなかったので、もったいなかったです。

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次の年には甘酒を始めました。たまたま甘酒を作る方との出会いがあり、今シーズンから販売し始めました。1年ずつ新しい取り組みを増やしています。 甘酒は今開発中で、同時に別のこともやっています。今後は干し芋や、野菜でスムージーを作れたらいいな、と。

スポーツ選手ならではの感覚を生かして、栄養価が高くて美味しいものを作り、一般の方にも広めていきたいですね。

一緒に進んでいける仲間と盛り上げていきたい

今のメインはフットサル選手なので、土日に遠征に行くと、イベントに参加できないこともあります。色々な所に行き、動きすぎたりして怪我をしてしまうと、フットサル選手としての活動に支障が出てしまいます。なので、一緒になって動いてくれる人が欲しいですね。スポットで、この販売だけ手伝ってあげる!というのも、とても助かります。あとは経理の面も。今は、全部自分がやるというよりも、一緒に進んで行く仲間を集めて、一緒に盛り上げていけたら、と考えています。

どの分野でも言えることだと思いますが、自分の得意分野で誰かを助けてあげる、ということができたら一番いいと思っています。例えば、甘酒が好きなら、中井農園の甘酒部門として動いてもらったり、 Web が得意なら管理を手伝ってもらえたり、イベントでの販売が好きならスポットで手伝ってもらったり、というように。

あとは、神戸の実家で農作業を手伝ってほしいです。それは単発でも、短期でも、中・長期でも嬉しいです。兄が1人でやっているので、なかなか追いついてこない部分が多くあります。兄も、干し芋もやりたいと思っているけれど、芋を掘るので精いっぱい。農作業体験とイベントを絡めたり、日本一絡みやすい、連携しやすい農家を目指すので、ぜひ力を貸していただきたいです!

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最後に

全国のセガレセガールのみなさん、 困ったことをみんなで共有して、みんなで助け合えば、みんなうまくいくと僕は思っています。

最初は共有が大事なので、発信できるところでどんどん発信していきましょう!僕も協力できることはできる限りやります。一緒に盛り上げていきましょう!

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京都に戻ろうと思った理由〜岡山編〜2014/08/15/FRI

人生なんとなくモヤモヤしている社会人のみなさまこんにちは。

こちらは大手ゲームメーカーを退職し、

実家である京都の八百屋を継ぎたいと思いたち、

現在は地元カンパニーという会社で働いている30歳既婚男性のブログです。

なんで東京で大企業にいたのに、京都に戻ろうと思ったのか、

つらつらと書き連ねています。


前回の投稿で、京都に戻ろうと思った理由、モヤモヤしていた理由の一つで

鳥取県の田中玄洋さんからの影響について書きました。

実は、もう一人、僕がセガにいる最中に

僕のことをモヤモヤさせる地域で頑張る人がいました。

井筒木綿子さんというのですが、(以下あだ名のもめで呼びます)

今は岡山県西粟倉村の村楽エナジー株式会社でバイオマスエネルギーの

最先端を突っ走るパートナー、井筒耕平さんをありとあらゆる面で

支えながら二人の子育て中。


もめは大学時代のゼミの同級生なんですが、

当時は特にというか、全く仲良くなかったんですね。

僕は前回の記事の通り、ゼミで鳥取の農村体験イベントなんかを企画したりして

何かと活動的だったのですが、彼女は大学は授業だけ受けてそそくさと帰るタイプの

学生でした。


ところが、

僕が社会人2年目くすぶっているところに、もめが会社を辞めて結婚して

岡山でいなか暮らしを始める情報が飛び込んできます。

なにそれ。

もめと耕平でmenpeiというユニット夫婦に。

二人のことはこちらからどうぞ。menpeiのサイトです。


facebookやtwitterから飛び込んでくる、もめの充実したいなかLIFE。

ある日、友人とともに僕はその事実をこの目で確かめるために、

吉永という町を訪れます。

そこで語られる、充実の日々。会社組織に捕らわれない生き方、自分に正直な生き方。

がつーんときました。

でも不安でしょ、稼ぎが持つのかとか。その辺の話はその時は聞かなかったかな。

まだ、モヤモヤしながら別れたのかな、その時は。羨ましさが募っただけで。


それから、ますますモヤモヤする僕。

もめはコーヘイさんと共に、今度は上山集落というところに移住。

棚田の再生と林業再生に取り組む。子供もできる。

会社辞めて田舎暮らしで子育てできるんだ。

もめはますますきらっきらに見えた。

上山集落の本も読んだ。もめが自分でつくった、子供が産まれるまでの映像も見た。

なんだこの生き方は、と。


それでいろいろコメントすると、またもめが煽ってくるわけですよ。

こっちの世界は楽しいぜ、とばかりに。

環境を変える不安、新しい世界に飛び込む不安、

会社という大きなものに守られなくなる不安、

ちゃんと稼いで生きていけるのかという不安。

それは一生つきまとうものだけれども、それを超越した次元で生きていくことを選択した人。

僕がモヤモヤした時にいつも出てくる、もめの姿。


もちろん、楽しいことばかりではない、むしろ辛く苦しいことのほうが多いはず。

しかし。




京都に戻る決意をした今、生きていく手段、場所は全然違うけど、

自分の力で今、未来をつくっていくという生き方に少しずつ近づいてきて、

もめと同じフィールドに近づけたかなと思っています。


地元カンパニーに転職した去年、夏休みに上山集落のもめとコーヘイさんを訪ねて、

家に泊めてもらいました。

もめに上山集落を案内してもらいました。

なぜか岡山の限界集落の山頂にあるヘリポートで、もめは話してくれました。

上山集落で人と人がつながる、巻き込み巻き込まれて巻き起こるめくるめくストーリー。

一般的には無謀と思われることに信念をもって取り組むことで生まれる充実感。

「いろんな人が主体的に関わることで、ちょっと信じられないことが起こっている。
 ディズニーランドよりドキドキする出来事が毎日起こっている。
 外から人が集まって、一つ一つが奇跡みたいにつながって、
 また新しいエネルギーが生まれていく。
 だから毎日がメリーでたのしいんやで」

と、そんな語り口だったと思います。

その時のもめはうっすら目が潤んでいました。

僕は、もめと話して初めてブルっと鳥肌が立ちました。




田舎だからではなく、町でもできる、京都でも僕はそんな体験をしたい。

今はそう思っています。

ブルっと鳥肌が立つような瞬間、感じたくないですか。

地域で当事者になって、人と人とをつないでエネルギーを集めて、

新しい生き方を示すことができる人間になりたいと思います。


とはいっても肩肘張っていたらできないし、

それが自然体でできる人が、今かっこいい人だと思います。


自然体で、自分が正しい、やりたいと感じたこと、衝動に従って

しなやかに生きていきたい。

いつもそう思わせてくれる、もめとコーヘイさんと風太くんとたねちゃんと、

また会えるように、がんばらねばいけませんね。

コーヘイさんが代表の会社、村落エナジー株式会社

http://sonraku-energy.lolipop.jp/wp/



2回続けて、外部の人に影響を受けた話を書きました。

この2つだけが、セガを退職して京都の八百屋を継ごうと決意した要因ではありませんが、

大きな組織にとらわれず、オンとオフの境界線をなるべくなくし、

今目の前を生きている二組の影響はとても大きいものでした。

あと、玄洋さんもmenpeiの二人も結婚して子育てもしているところも

とても尊敬、そして共感できるところです。

地域のトップランナーになるのに子育てはハードルではない、

それすらも人生の喜び楽しみとして実践していく姿勢を見習いたいです。

子どもは尊いです。




次は何を書こうかな。

外のことが続いたので、家の中のことを書こうかと思います。


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過去の記事は以下です。

コンドウトオマの自己紹介①〜いままでをざっくり〜

自己紹介②〜今に至ったそもそも〜

京都に戻ろうと思った理由〜鳥取編〜

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